日本で起きた、あるシャチの悲劇から10周年
1997年、日本の太地町で、とあるシャチの家族の10頭が追い込まれた―2007年2月7日、この事件からちょうど10周年を迎える。
生け捕られてわずか2~3日で、その家族の5頭は飼育用の施設へ移送され、残り5頭は解放された(追い出された)。
生け捕られたシャチの3頭は、「アドベンチャー・ワールド」に、1頭は「伊豆三津シーパラダイス」に、そしてもう1頭が「太地町立くじらの博物館」に収容された。
彼らは“太地ファイブ”と総称されることになった。
世界中から大きな反響が湧きおこった。シャチを海に戻して欲しいという、日本に届いた文字通り数千もの懇願、そして多数の抗議運動。そのどれもが功を成さなかった。捕獲からわずか数か月で、「アドベンチャー・ワールド」に運ばれたうちの2頭が死んだ―幼いオス、そして妊娠中に捕獲され、その後すぐに流産してしまったメスである。
捕獲から数年後の2003年、「太地町立くじらの博物館」は当時10歳のメスを、「名古屋港水族館」に売り渡した。翌2004年、「アドベンチャー・ワールド」の“太地ファイブ”の最後の1頭が死んだ。
現在、“太地ファイブ”のうち2頭生存するのみだ――「名古屋港水族館」の“クー”と「伊豆三津シーパラダイス」の“アスカ”16歳、ともにメスである。 捕獲直後に解放された、群れの残り5頭のその後は不明である。
ある意味で “太地ファイブ”の悲劇は、日本の脆弱なシャチの個体群に捕獲がもたらした確かなダメージだ。ある面、日本は無知ゆえの重大な過ちを正すチャンスを逸してしまっている。確実に数少ない日本のシャチについて、わかっていることは非常に少ない。1950~1960年代に、シャチは沿岸捕鯨で大量に捕獲され、また近年では、流氷封入による不幸な事故で個体減少を被った。個体群が脆弱だからこそ、犠牲をはらむ生け捕りなど二度と行うべきではない!
生存中の2頭の解放――“太地ファイブ”の事件から長い年月を経た今となっては、もはやいかなる訴えかけを行っても、日本の変化は期待できない。
だが、“太地ファイブ”の悲劇を、今後二度と繰り返すことのない方策に、日本は気付くべきである。どうか、日本にあらわれるシャチの個体群を国内法で完全に保護するよう、安倍首相に訴えかけてください。あなたの陳情を、下記リスト(「新たなシャチ捕獲計画の可能性」参照)の宛先へも送ってください。ご協力にお礼申し上げる。
“太地ファイブ”の犠牲の下に、日本のシャチが飼育用の生け捕りをはじめさまざまな脅威から永遠に解放されるなら、彼らの宿命は無駄にならない。
ポール・スポング、ヘレナ・サイモンズ
オルカラボ
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州、ハンソン島