シャチ1頭5億円!? 名古屋市民にシャチは必要?

中日新聞他の伝えるところによると、和歌山県太地町で1986年に野生捕獲され、飼育されてきたメスのシャチを名古屋港水族館に入れる計画がもちあがっている。
名古屋港水族館は2004年にも、太地町立くじらの博物館から繁殖目的で1997年に同じく野生捕獲されたシャチを借り受け、2008年に死亡させているところだ。
毎年5000万円が名古屋港水族館からくじらの博物館に支払われていたが、今回は借り入れではなく5億円の譲渡ということである。

譲渡が計画されているメスのシャチ・ナミは推定年齢26歳。2008年に推定年齢16歳で死亡したクーのように、野生からの捕獲後の年数が少なく環境の変化にも順応しやすい、と思われる若い個体ではない。

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これまで世界での飼育経験では、飼育下でのシャチの寿命は野生のそれに比較して一般的に著しく短いとされているが、ナミは心身にもたらされるだろう捕獲のストレスを幸運にも克服し、飼育状態で23年を迎えている。そのナミを、自然の入り江を網で囲った環境から引き離し、輸送に伴うストレスと、コンクリートの水槽という環境の激変にさらすことになる。

ところで、名古屋市は来年10月の「生物多様性条約第10回締結国会議(CBD-COP10/MOP5)」の開催都市である。
「生物多様性条約」で謳われていることは、
「人類の生存環境として必要不可欠な、多様な生物からなる生態系を未来に向け保全すること」
であり、日本国および名古屋市は、世界に恥じないイニシアティブを示すべき立場にある。

前世紀末、「名古屋=シャチ」という発想に基づいて立案された名古屋港水族館の大規模な拡張計画とシャチの捕獲・飼育計画に対しては、計画が公表された当初から複数のNGOが反対してきた。

その主な理由は、

・稀少かつ生息状況が知られていない野生動物の捕獲の是非
・アミューズメント性に依存した水族館施設の在り方
・莫大な事業費

についてであり、社会(とりわけ子供たち)への啓蒙、科学的知見の獲得、地域活性化(そのどれもがまやかしであった。本サイト別項参照。)の美名の下に行われる生態系からの野生動物の一方的な収奪/消費の仕組みに異を唱えるものであった。

ナミを譲渡する太地町は、水族館展示向け野生イルカに関しては事実上国内で唯一の供給源であり、加えて国外への輸出も町の主要財源として推進されている。
名古屋港水族館で5年間生存したクーに対し、太地町が名古屋港水族館に科したリース代金は年間3000万円(現報道では5000万円とされている。)であったが、ナミの譲渡代金は報道では5億円とされる。
日本沿岸における野生シャチの生息状況は希少という以外に全く不明であり、シャチの捕獲には多くの問題がある(本サイト別項参照)。シャチの捕獲は国内外からの批判に晒されるなど、太地町自身にとってもリスクを伴う。
しかし、法外とも思える代価を支払ってでもナミを求め購入する者がいる限り、財政難にあえぐ太地町にとって、さらに野生シャチを捕獲し売却することが、リスクを冒すに値する現実的な地域活性化手段と映ることだろう。

都市に莫大なエネルギーと資源を費やして巨大施設を建設し、遠くに住む野生動物で満たそうとする事業の根底には、足らないものはいかなるものも、環境に対する意識さえも、経済力と科学技術を追求すれば得ることができるに違いないという発想がある。
だが21世紀を迎えてから10年が経過しようとしている今、そのような発想で獲得する豊かさがもたらすものに、私たちは直面している。ほんの一握りの者の物質的豊かさ、その代償としての心の空虚、生態系の破壊、エネルギーの浪費、社会的弱者、弱い国からの収奪。このような豊かさの追求は、結局は自らの首を絞めるものでしかないことを私たちは学び、社会全体に変化の流れが巻き起こり始めている。

名古屋=シャチという固定観念に固執し、なりふりかまわぬシャチ展示を求める姿は、主役であるシャチのナミに大きなストレスをもたらすばかりか、前世紀、私たち自身に大きな痛みをもたらした一方的な収奪と消費の仕組みを支え続けることにもつながっている。
そして重要なのは、ナミの展示を求めるのも、その購入費用5億円を支えるのも、入館者である我々一般市民ということである。
社会に変化の潮流を起こすことができた私たち市民には、CBD-COP10/MOP5開催国、開催都市の市民として、あるいは新たな豊かさを求める社会の一員として
ふさわしい判断と行動が可能ではないだろうか。

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Comments

うなみん | 2009/11/29 01:06 AM
ナミちゃんの売買、私も断固反対です。

人間のエゴによって、動物の大切な命が軽々しくやり取りされることに、非常に憤りを感じざるを得ません。

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